Tsukasa Theater

脚本家/役者・近藤司のブログ

フォーカシング心理療法

最近、フォーカシング(focusing)という心理療法のセッションを受けています。
アレキサンダーテクニックの先生が、今その資格をとっているところで、彼女のトレーニングの最終段階として実際に人にセッションを与えるので、司受けてみないか、と言われ始めました。無料だし、心理療法的なものは好きなので受けることにしました。

セッションを始める前に軽く内容の説明は聞いたものの、とりあえず受けてみたらいいかと思ってフォーカシングについて調べることはしなかったのですが、ちょうど今週でセッションも5、6回目に入ったので軽くネットで調べてみました。どうやら、小さいけれど日本でもフォーカシングのネットワークがあるようです。

ネットに書いてある情報は後述するとして、今までのセッションを通じて俺が体験したもの。

まず薄暗くした部屋にイスに座る、横になる、などする。ガイドは向かい合って座るというより、視界の端の暗いところに座って問いかけてくる。

その時点の自分の感情/感覚を探る、もしくは何か浮かんでくる映像、動かしたい身体の一部など、に注意を向ける。

上にあげたような通常なら「言葉にされないものたち」に意識を留めて体験する。それは言語化することだったり、ただその感覚を体験するだけだったりする。体験を促すためにガイドが質問をしてくる。

最後にその体験から何かメッセージを得たか、現実の中の具体的な問題とリンクしているのか、などを考える。セッションを終えられる状態(イメージや感情/感覚を体験する”トランス状態”から離れられる状態)になったか、を確認し、終了。

例えば一番最初のセッションでは、現実の生活の中で、「これさえなければより良い生活を送れるのに」という障害をいくつか思い浮かべるように言われた。3つ、4つ思い浮かべた後、その中から一つを選ぶ。それについて考えた時に、自分はどんな気持ちになっているか、を描写する。確か「密度の濃いコットンが胸につまっている感覚」とかそんなことを言った気がする。またその気持ちが身体のどこで感じられるか、などを探った。

このセッションを終えて、自分が認識していない感情/感覚が自分の中にたくさんあることに気付いた。この障害自体については頭では「自分は○○な状況だから××と感じているんだ」と認識していたつもりでも、それにまつわる感情/感覚を体験するのは別物なのだなと思った。逆に、”客観的な認識”をしてすぐに自分を納得させようとすると(それは俺/人がよくやることなのだけど)、逆にこういった感情が体験されずに溜まってしまう気がする。

セッションを終えるといい運動をしたような解放感がある。

ガイドは色々な手法でこういった感情/感覚を体験するのを促してくれる。前回やった面白いものはイスを3つ使うものなのだけど、それについてはまた後日。

フォーカシングを始めて日常生活でも変化が感じられたのでそれについても書きたい。自分の中の微妙な感情/感覚に敏感になった。またそれを無視するのではなく意識すればそれをしばらく体験することができるようになった。たとえば電車にのっていてふと自分がイライラしていることに気付く、以前ならたとえそれに気付いてもそこからどうしようもなかったが、そのイライラをイメージや身体感覚を使って体験することで”消化”するようになった。

フォーカシングは慣れれば一人でもできるようだが、ガイドがいるとやりやすい。世界にはフォーカシングを実践している人たちのネットワークがあり、たとえばフォーカシング・インスティチュートのウェブサイトにいって登録すると自分の近くのフォーカサーを探すこともできる。また言語が同じであれば電話などでフォーカシングのセッションを行うことができる。日本にもそのネットワークはあるようです。

ザ・フォーカシング・インスティテュート日本語ページ
http://www.focusing.org/jp/6steps_jp.html

フォーカシング wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0

東京フォーカシング指向心理療法研究会
http://foptokyo.blogspot.com/