Tsukasa Theater

脚本家/役者・近藤司のブログ

よい役者はなぜすねないか

この前のタイトルで「よい役者はすねない」と書いたが、全然そこを説明する前に手が疲れて書くのを止めてしまった。

前回書いた内容はいかにリアルな演技をするかという話だった。リアルな演技において我々が使うもの―つまり”楽器”―は「私という人間」である。

生身の人間と対峙した時に、自分の中にどんな感情が湧きあがるか、何をしたくなるか、身体がどのように反応するか、それは人間であれば誰であれ自然と固有のものを持っている。

あなたが誰かを心の底から好きになったとする。その時に相手を喜ばせたいと思う気持ち、相手をどんな風に触りたいと思うか、相手の声を聴いた時に自分の身体がどう反応するか、それはあなたにしかできないことである。

その意味で、個性というのは「頑張って手に入れる」ものではなく、むしろ「何をしようとそこにある」ものである。

個性は頭脳からは降りてこない。個性はどこにあるか。思考を経てしまった行為はリアルさの一部をフィルターしてしまったものと言える。「こうしようかな」と考えた瞬間にもうその瞬間は死んでしまっている。

個性は直感にある。

個性は、「考える前にしてしまったこと」の中にある。

目の前にいる人から無意識に後ずさりしている。気が付いたら抱きしめていた。叫ぶつもりもなく叫んだ。

そのあなたの直感の中にあなたの個性がある。これをあなたの才能と呼ぶ。もしくは役者の中にある自由と呼ぶ。あなたの最大限の可能性・魅力・個性・はここに眠っている。


目の前にいる人間と生身のやり取りをする。自分の中に生まれた直感に従って行動する。

これを訓練するトレーニングがマイズナーテクニックである。

だから最初のエクササイズが

「相手を見て最初に目についたものを言う。それを繰り返す。」

なのである。ここには果てしない深さがある。

一人の人間を見て、「美人だ」と思うか「デカい鼻だ」と思うかは人による、自分が最初に注目したものを無視してはいけない。そこに役者の自由と個性があるから。

マイズナーテクニックは役者のためのトレーニングである。役者一人一人が抱えてる「人間性」というモンスターをどうやって使って演技するか、役者の立場から考えて作られたテクニックである。

安全で自由な環境で決して独りよがりにならずに、かつ自分の直感に従って行動した場合、自分はどれだけ自由になれるか(=どういった振る舞いをするか)を最大限探究させてくれるのである。

これは体験によるトレーニングである。これを教えられるのは自らもこのトレーニングを時間をかけて受けた人だけである。決して本だけ読んで理解できるものではない。

もしもあなたの先生が本でマイズナーを習得したと言っていたら今すぐその教室を出たほうがいいと思う。

もしもあなたの先生がマイズナーの勉強を半年や1年で終えたと言ったら何かが違っていると思っていいと思う。


こういう話を聞いて3年前の自分が考えただろうこと

「そんなこと言って、そのテクニックに箔をつけようとしてるだけじゃないのか。その先生に才能があれば、半年だろうと1年だろうとそれをマスターして自分の方法論として教えることはできるに決まってる。本だけ読んで理解できる人もいるかもしれない。」

この気持ちはよく分かる。ただ、間違っている。上のように思う人ほど演技を頭で理解しようとしている人かもしれない。そういう人ほど、本だけ読んで誤解するだろう。

実際、ルイーズのクラスでは生徒はマイズナーの教科書は読まないように言われている。何の役にもたたないからだ。読んで面白いかもしれないが、それが生徒の演技を前に進めることはない。何が進めるか、教室で、実際に、指導者の目の前でマイズナーをすることである。

今は3年や4年のスパンでここまで基礎からみっちりと教えようとする先生はほとんどいなくなってしまった。ルイーズという素晴らしい教師に会えたことにもう一度感謝したい。

そして結局なぜ「よい役者はスネない」かの話にたどり着けず。